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ピアソンとヴォーリズの接点~北昴輝学舎11月例会

 北昴輝学舎は22日、11月例会を開き、ピアソン邸とその設計者ウィリアム・メレル・ヴォーリズについて久保勝範氏に学びました。

 ピアソンは1888(明治21)年に横浜に入り、英語教師として教鞭をとったのち、北海道の田舎伝道を目指して北上をつづけて野付牛を最後の布教地としました。久保氏は、「明治31年に全道を大水害が襲い学田にも甚大な被害をもたらした。当時は学田・北光社と旭川・永山の間で薄荷の取引が行なわれはじめた時期とほぼ重なる。明治33年に薄荷栽培を実施して学田が立ち直りを見せたことは学田、旭川双方の関係者と情報交流していたのではないか」とし、自然災害に強い貴重な作物である薄荷とピアソンとの関係について触れました。

 一方、日本国内で数多く西洋建築を手掛けた建築家ヴォーリズは、近江兄弟社の創立者としてメンソレータムを日本に普及させた人物としても知られています。ヴォーリズは1910(明治43)年にメンソレータムの創始者A・ハイド氏と面会し、東洋におけるメンソレータムの販売代理権を譲り受けました。久保氏は「後日の記録により、近江兄弟社では北見産の薄荷が使われていたことがわかった。日本に一時的に訪問している外国人にとって、軽井沢は休暇を過ごす絶好の場所だった。ピアソンとヴォーリズにとっても例外ではなく、かの地で彼らが親しくなり、良質な北見薄荷に関する情報交換がされていた可能性は十分に考えられる」とし、ピアソンとヴォーリズ、そして北見薄荷との関連性について示唆しました。

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